心という見えない場所を、のぞいてみませんか(第2話/全6話)

《これまでのお話》

→第1話 「誰かの、役に立ちたい」方々ばかり

誰かの役に立ちたい。

そう感じる人が、この「ひだまり処 禅」を訪れるのだとしたら。

濱﨑さんご自身もきっと、そうなのだろう。

濱﨑さんは続ける。

 

「初めてお越しになられた方の多くが、カウンセリングとヒーリングの2つをあわせた『魂セラピー 』を体験されます。また、『過去世セラピー ※』も一度受けただけなのに、長期にわたり、変化と持続性を実感できるとのご感想が多いですね。
※現在は心理カウンセリングの中で、その方の必要に応じて魂セラピー、過去世セラピーを行っております。

 

人には与えられた使命というものがあります。

しかし、その使命を全うする前に、与えられた種が固い土に阻まれて芽が出ないということがよくあります。

この固い土が、固定観念、思い込み、過去の傷と呼ばれることもありますね。

私の役目、そしてこの『ひだまり処 禅』でご提供しているのは、その方の持っておられる素晴らしい種が発芽しやすい環境を整える、というイメージでしょうか。

 

マイナスからゼロポイント。ゼロポイントから1ポイントまで、伴走するのが私の役目だと感じております」

 

使命に向かって歩き出す前に、人は暗夜を迎えることがある。

それは、ようやく自分の人生がスタートしたという合図でもあるのだが、なかなかその暗夜を一人で乗り越えることは難しい。

『ひだまり処 禅』を訪れる方が見るのは、その暗夜を抜けた先の自分自身なのだろうか。

 

「ありがとうございます。使命の種が発芽しやすい環境を整える。

この『ひだまり処 禅』が、少しイメージがしやすくなりました。

 

しかし、『魂』、『過去世』というと、なかなかこの目で見えるものではない世界のことだと思います。

私は見えないもの、霊感や第六感というものに疎く、残念ながらそれを見たりすることはできません。

 

私のように、見えない世界を意識したことがなかったりする人でも、この『ひだまり処 禅』で濱﨑さんのカウンセリングやセラピーを受けても大丈夫なものでしょうか?

それとも、やはりそういったものに敏感な方のほうが、効果は高いものだったりするのでしょうか?」

 

その問いに、濱﨑さんは微笑みを浮かべていた。

 

「はい、皆様そうおっしゃられます。

見えないものを、感じたりしないとのこと。

けれども、その方が見える、見えないはあまり関係がありません。

 

ひとつ、お聞きしたいのですが、風を感じたことはありますか?」

 

「風、ですか? はい、ここへ来る途中も車の窓を開けると、風が入ってきました。

新緑の、心地よい風でした」

 

「そうですよね。ありがとうございます。では、風を見たことは?」

 

「ない、ですね…」

 

「では、怒ったり、その反対に喜んだりしたことはありますか?」

 

「はい、それはもちろん、あります。怒るのは、苦手ですが…」

 

「その、怒りや喜びというものを見たことは?」

 

「それは、ないですね。それらもまた、見えないもの、ということでしょうか…?」

 

「そうですね。わかりやすい例えでいうと…そう、いま息を吐いてみてください」

 

ふーっと、私はひとつ息を吐きだした。

もう一度息を吸うと、はちみつティーの豊かな香りが、また鼻腔をくすぐった。

 

「見えましたか?見えませんよね。

では、寒い北国の冷たい朝に、息を吐いてみたら、どうでしょう?

…そう、白い息になって見えますね」

 

私は頷きながら、濱﨑さんを見つめていた。

 

「私たちが認識するということは、気温、環境、状況というものが一致したときに、ある種の表れとなって見える。でも、見えようが、見えまいが、吐く息は『在る』んです」

 

少し瞑目してから、濱﨑さんは続ける。

 

「私達は健常にて五感で生命活動をしております。

ですが、たとえば、目が不自由な方は、耳がとてもよく聴こえるというのは、ご存知だと思います。

 

かつて私は、こんな言葉をいただいたことがあります。

『肉眼にたよるな。目に見えることが全てだと判断してはならぬ。心眼をきたえよ』と。

心の眼。それは、私は感情を観るということだと。また、感覚を研ぎ澄ますことだと。

五感、喜怒哀楽、すべてを、我が身に起こることを信じてみることだと感じます。

 

見えない世界を信じていようが、そんなものは、信じない!であろうが、どちらでもいいんです。いかようであっても、その方の心が、曇り空から一筋の光が差し、温もりをもたらせれば」

 

話し終えると、濱﨑さんはティーカップを手に持ち、はちみつティーを一口飲んだ。

そういえば、先ほどは立ち昇っていた湯気は、もう見えない。

 

「心って、見えます?みたことあります?

見えないのに、こんなにも、心のことで、私たちは思い煩うわけですよね。

見えないのにね」

 

そう言って、濱﨑さんは悪戯っぽく笑った。

私も、それが見えないのに、なんだかんだと心を煩わせていたことが、ずいぶんとおかしなことのように感じられた。

 

「長くなってしまいましたが、質問のお答えとしては。

見える、見えないはまったく関係ございません!

どのような方法であれ、その方が消化しやすければ、それでいいのだと思います。

心理カウンセリング、魂セラピー、過去世セラピー、レイキなど、その方の必要に応じて、ご提供させていただければと考えております」

 

見える、見えない。それがどちらであろうとも。

この「ひだまり処 禅」を訪れる人が、濱﨑さんと出会い、癒されてきたことは変わらないのだろう。

しかし、そうだとしても、見えない世界がどんなものか、もう少し聞いてみたいと思った。